焚き火はひとの一生だ
生まれて26年間の恒例家族行事で、元旦0時に地元の神社にお参りに行きます。
今年の気温は2℃。
例年と比べると暖かいですが、それでも息は白くなり凍った空気が鼻を通ります。
神社には鳥居の外まで人がずらりと並んでいます。小さな子どもがいる家族、老夫婦、いろんな人がコートに身を包んでいます。
「いま、新年が明けました! 皆さま、おめでとうございます!!」
社の中では町内会の人が集まっていて、そこで流しているテレビが新年を告げました。
ゆっくり列が進みます。
寒い。寒い。
早く終わらないかなあと待っている私の目に、ふと飛び込んだものがありました。
「焚き火だ」
直径20cmほどある薪が5つ、6つ焚べてある焚き火でした。
小学生低学年の子どもはゆうに越すサイズ。
私はお参りを済ませてから、家族が帰った後も
じーっと焚き火を見ていました。
全体でみるとひとつの大きな炎ですが、
じっとみると、一つひとつの薪に炎が宿っています。
ちらちらと、
ホロホロと、
パチパチと、
色んな勢いの炎が踊り盛っています。
重ねられた薪の下の方には、時間がたった薪が灼熱のオレンジ色に光っています。
薪自体が炎になるのです。
本当に美しくなっています。
そうして、薪はだんだん黒い炭になって、炎は姿を消して灰だけが残ります。
焚き火を管理しているおじさんが、飛び出た灰をさっと履いて、終わり。
焚き火は、ひとの一生みたいだと思いました。
一つの大きな炎という社会の中に、自分という小さな炎がいる。
だんだん炎は薪全体に伝わって、
灼熱に光る美しい時を過ごして、
灰になって、一生を終える。
新しい薪がどんどん加わり、大きな炎は燃え続ける。
一説によると、炎のゆらぎは人を癒やす力があるらしいです。
東京工業大学名誉教授の他者さん著『ゆらぎの科学』曰く、
一定のリズムを持っていて、かつ完全に同じリズムではない様子がゆらぎで、
その中でも1/fという周波数を発するものが最も心地よく感じられるそうです。
炎が下から上へ規則的に吹き上げ、でも不規則に揺れる様子は、
人を心地よくさせるようです。
ふと、真っ赤なズボンに真っ赤なパーカーを着た男の子が炎近くに飛び出ました。
真っ赤なフードを頭にすっぽりかぶっています。
火の子だ。
私は反射的に思いました。
「こら、火に近づかないの!! 危ないでしょ」
その子のお母さんが叱ります。
「ちょっとだけ!」
男の子はいたずら顔で、炎を見つめます。
その子の顔をてらてらと照らす炎はやっぱり不規則で、
でも男の子の目はまっすぐ炎を見ていました。
炎が人の一生なら、
どう美しく燃えられるかは、なかなか思い通りにできない。
去年1年間の自分は、もちろんすべてが自分の思い通りになることはなかった。
仕事、恋愛、友達関係で、努力しても叶わないことの方が多かった。
そう思い起こす一方で、男の子の目はまっすぐ炎を見つめていました。
ふと、小学生の男の子が焚き火と私の前を横切りました。
寒い。
2℃の空気が体を切りました。
気づかなかった、焚き火はこんなにも私を暖めてくれていたんだ。
焚き火は目で癒やすだけではなく、近くにいる人を暖めて力を与えてもくれるようです。
来年もきっと、この焚火を見に初詣でに来よう。
ふーっと一息ついて、私は焚き火から離れて家に帰りました。
P.S.
30分近く炎を見て寒空につっ立っていたらしく、元旦はしっかり風邪を引きました。
喉がガラガラで寒気がします。
私の屍を糧に、皆さんは暖かくして過ごしてくださいね。