頭を音楽いっぱいにして電車に揺られる
毎朝8時半、通勤電車の座席はもちろん埋まっている。両窓に向かって一列に立つ人、その間にひしめいて立つ人。
私はその中の一人として存在する。耳には常にワイヤレスのイヤホンをはめている。
Youtubeでそのときの自分の中でのヒット曲をリピート再生する。
都会での生活は、音が多すぎる。
点検を終えた車掌が鳴らす発車音、OL姿の女性のため息、参考書にくぎ付けな学生がページをめくる音。
みんな、自分の毎日に一生懸命で必死で、たくさんの音を絶え間なく立てている。
私はその音を五感でひとつひとつ拾ってしまう。だから五感のうち一つくらいは潰したくなる。それが耳だ。私は、音楽がないと都会で生きていけない。
それが、釧路と知床の電車に乗って驚いた。
イヤホンなんて、必要ない。
確かに音はするのだが、釧路と知床という場所の主役は自然だ。人間の生活は、自然があるがままに存在する、その中にある。釧路と知床の音は、ひとつとして私を痛みつけなかった。
5日間の旅行を終えて、私は東京に帰ってきた。
すぐに、イヤホンをつける生活に早戻りした。
日々会う人とのコミュニケーションや、自分の将来に思いを巡らせる日々が、戻ってきた。それが私の日常だ。
釧路や知床は夢の場所だった。私は傷つける音がない場所だった。
きっと、いつかまた、戻るだろう。